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悠々自適な日々を目指す

波音に抱かれながら眠りにつくような生活を夢見るブログ

【SS】終わらないエイプリル・フール

創作 創作-短編小説


Photo by ぱくたそ

 

「お前が好きだ」
「……エイプリル・フールはもう過ぎましたよ」

 多分、十秒以上は溜めてからそっけなさを装って返答する。この先輩はいきなり何を言い出すんだろう。したくもない残業をしている私の邪魔をそんなにしたいのだろうか。

「いや、冗談じゃなくて本当だって」
 偏見で、さらに自身も同じ立場にいる上で述べるが、営業職の人はみんな口がうまい。だからこうした口説き文句も日常会話のようにこぼれてくるのだろう。先輩が、青年向け男性ファッション雑誌の表紙を飾るような見た目なのも関係している。気さくでそれでは、自分に自信があるのも頷ける。

 馬鹿馬鹿しい。特に何も反応せずにキーボードを叩き続ける。この資料を明日までに作成して、上司に提出しなくてはならないのだ。入社してまだ一年になる私に、下らない冗談に付き合っている余裕はない。

「相変わらずつれないねぇお前は。オレは真剣だぜ」
「……真剣なら、いきなり告白なんてしません」
 しまった、つい反応してしまった。でも手は止めない。早く完成させて帰りたい。

「帰りにメシ誘ったり、誕生日にこっそりプレゼントだってしてやったのに? それでもウソってか」
 他の女もご飯に誘っていたくせして、よく「お前だけ特別」みたいな言い方ができると思う。その分だと、誕生日プレゼントもしていたに違いない。

「なあ、こっち向けって」
 本当に集中しなければ。手をつけているこのページさえ終われば資料が完成する。あと少しなのだ、早く完成させて帰りたい。戯れ言を繰り返す先輩ともお別れしたい。

「さすが、一筋縄ではいかないか」
 肩を掴まれたかと思うと、いきなり目前に先輩の顔が現れた。嫌な予感がして、慌てて腕を突き出す。
「……ちっ」
「ひ、卑怯ですよ不意打ちは!」

 ありえない。キスをしかけてくるなんて想像の範囲外だ。
 手のひらの隙間から恨めしそうな視線を投げてくる男に、本気で平手でも食らわしたくなるも懸命に堪える。これ以上感情的になる姿を見せたくなかった。

「もう帰ってくださいよ! 先輩、もう仕事終わってるでしょう?」
 全然冷静になれない。たまらなく、悔しい。
 思えば彼の下についてから、振り回されない日はほとんどなかった。いつでも軽妙な言動で私を翻弄して、そのたびに一喜一憂して、そんな自分に辟易して……

「お前が終わるの待ってるんだって、わかんねえの?」
 私が作った壁をあっさり取り去って、先輩は続ける。
「今日外回りにちょっと時間かかっちまったしな。お前が資料作んないといけないのはわかってたんだけどさ」

 それは仕方ない。最後に訪問した顧客は、先輩のことがえらくお気に入りで長話になりやすくなる。もちろんただの雑談だけでなく、今後「こうしたい」という構想をいろいろと聞かせてくれるからとても勉強になる。

「お前は自分のことは自分でやり遂げたいヤツだから、せめてメシぐらい奢りたいなと」
「そ、そんな気を遣わなくても大丈夫ですよ」
「って言われると思ったから黙って待ってたの」
「じゃあ何でいきなりあんな冗談言うんですか!」
「いや、なんか頑張ってるお前見てたら気持ち高まっちゃって。ていうか冗談じゃないから」

 ほんとはまだ言うつもりじゃなかったんだ、と先輩は苦笑する。私はますます混乱がつのる。早く平常心を取り戻さないといけないのに、焦れば焦るほど頭に熱が溜まっていく。
 とりあえず距離を取ろう。そう思って立ち上がろうとしたが、動かない。
 よく見ると、両手が捕まっている。

「せ、先輩。離していただけますか」
「あー。嫌だ」
「仕事終わらせたいんです!」
「じゃあ、さっきの告白の返事聞かせてくれる? イエスかはいで」
「……お断りします」
「……ほお。さすがデキる自慢の後輩だ。壁ドンでもすれば受け入れてもらえるのかなー?」
「受け入れません!」

 本当はわかっていた。先輩の目はまっすぐに私を射抜いている。目は口ほどに物を言うとはよく言ったものだ。
 だから私は視線を合わせられない。混乱も治らない。
「な、何で急にこんな、わけわかんない!」
「こうでもしないと、お前いつまで経ってもオレのことちゃんと意識してくんないだろ?」

 急に察した。
 多分、先輩は必死に押し殺している私の気持ちに気づいている。
 不安が消えず、臆病になっている心にも。

「――逃げんなよ?」

 簡単に認めたくない――そんな意地もいずれ、淘汰されてしまう。
 そう予想できてしまうのは、先輩の手を振り払えず、不意の抱擁にも抗えなくなっているからだった。